備前焼は朝鮮から伝えられ、古墳〜平安時代に存在した須恵器が発展したものと考えられていま
す。やがて鎌倉時代になると、現在の備前焼のルーツとも言えるものが登場します。茶品的な意味
ではなく実用的な物が求められ、「落としても割れない」と好評でした。 『古備前』と呼ばれ、室町時
代から桃山時代にかけて茶道が流行すると素朴さが『わび・さび』に通じると言われ、茶具としての
人気も高まります。 織部や豊臣秀吉など多くの茶人に愛され、茶会では姿を見掛ける事が多々あり
ました。特に茶聖で知られる千利休は備前焼の美しさを大絶賛したと言われています。しかし、江戸
時代に入ると同時に茶道は衰退の道を辿ります。備前焼よりも更に安くて大量生産が可能な磁器も
登場し、備前焼は本来の日用品に戻ったのでした。明治に入り、伊万里が高い人気を誇りながらも、
再び備前焼は茶器として登場したのです。 再び備前焼は大きな人気を誇るようになり、やがて人間
国宝の金重陶陽や藤原啓など、そうそうたる作家を輩出したのです。
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